ベーコンエピ

 

精神に不調をきたしたりタスクや不安でいっぱいいっぱいになったりするとはてなブログを開く。喜ばしい感情のときは開こうとは思わない。頭の中の言葉がそのまま出てくる人間なのか、スパークした感情は即席の短文となって川に流す。だからブログだけを読むとやたらと暗い人間に思え、それが嫌で過去の文章を削除する。

新しい文章を書き始める前に購読中のブログの更新に一通り目を通す。感情を吐露するもあればフラットな日記もあり、私とはまったく関係のない営みが行われていることに羨望し安堵する。

金が無さすぎるというだけのことがすべての生活を蝕んでいる。私はそもそも金遣いが荒く、いや自分ではそれを大胆と言うけど、私の幼稚さは躊躇を知らないままにクレジットカードを得てしまった。宝くじで大金が当たると金銭感覚が狂い破滅するとよく言う。私は自分ならそんなことはないと思っていたが、ここ半年で私こそが破滅の王だと認識を改めた。

無さすぎる口座残高に目をつぶりながら、金が欲しいということは何か社会から付与された欲望で居心地が悪いよなあと考えていたのだけど、その3日後くらいに高島鈴さんがまったく同じことをツイートされていた。それが良いとかではない。私の思考が明文化されている文章に出会うといつも少し嬉しく悔しい。

そんなことはどうでも良くて、金が無いこと、バイトや単発の予定が詰まっていること、4月になること、部屋を片付けること、勉強すること、かなり先の旅行の準備をすること、寝ないといけないこと、家具を買うことが私の周りを回っていて前がよく見えない。部屋の掃除に至ってはすでに完了しているのにも関わらずまだ私の脳を圧迫する。やっと克服したと思ったらまた夜更かしをしてしまうようになった。親知らずを抜くことが決まった。半笑いにしかなれなくてどれにも手をつけられない。近所のスーパーでまたベーコンエピを売ってくれたら良いのにな。

 

 

最近音楽がすごく聴こえる。単に良い曲のリリースが続いているのか、私の受け皿の調子が良いのかはわからないし今までもわかったことはない。ただ出会いはタイミングなので、それを逃さないようにはしたい。

長生きにも、結婚や子育てなどのライフステージにも興味は無い(そもそも俺は結婚できない!死ね!)けど俺が死んだ後にすごい曲や映画が出てきたら悔しいから生きるしかないよな。金が貯まり次第アナーキーな生に舵を切りたい。排除アートをぶっ壊し、横領をして逃走する。それかシェアハウスをしたい。知らない人と。誰かに私を補ってもらうことは求めていないけど、誰かに私の人生を通り過ぎてほしい。それだけ。